ジャズ史の中で一番重要な演奏家はマイルス。
何十年に渡ってその時代の音楽を激しく変え続けてきた人なので、「これを聴け」というのだけでも何十枚にもなって大変。
聴いてみると、同じ人とは思えないくらいの変わりようでびっくりします。
50年代、60年代、70年代、80年代、90年代それぞれ全然別なマイルススタイルで演奏していて、各年代で何枚も重要アルバムがあるみたいですね。
ところでぼくの中での一番の変化は50-60年代のマイルス。
それ以前はスインジャズで、ソロもルートに対して3度、5度、7度、9度くらいしか使っていなかったのに、BeBupが始まると、b9、#9、11やb13がてんこ盛りに出てきて、アドリブが急に難しくなるのです。
スイングジャズとモダンジャズ。
同じジャズと名がついているのに、なぜこれほど違うのか。
ものすごく不思議でした。
映画バードの中でチャーリーパーカーが、
「あの頃は歌の伴奏で毎晩毎晩同じ曲ばっかりやっていた。
ある日、G7のところでDb7をやってみたら、それが合うんだ。
何故か判らないけど。そのときに、コードを変える方法を発見したんだ。」
と言っています。
それが発展して、現在では裏コードやオルタード、ハーモニックマイナーパーフェクトフィフスビロウなんかは理論付けされて正当化されるに至っています。
今じゃ中学生でもオルタード使ったりしてますね。
先人が感覚で編み出したもの(超非常識)が後付けの理論で正当化され、次第に常識になっていく…
次の大きなうねりはモードジャズへの変化。
それまではコード進行こそがジャズで、コードに沿ったソロを弾くことがイコールジャズと言ってもいいくらいだったのです。
そのために、複雑な(かっこいい)ソロを弾くためにはどんどんコードを複雑に変換していかなければならず、1拍に1コードみたいな状況になって、かえってソロがやりずらくなってきたわけです。
そこで出たのがモード。
この当時、日本のジャズマンたちは何が起こっているか判らず、
「ピアノの白鍵だけ弾けばソーホアットのソロになるよ」
なんて言っていたらしい。
モードもその後常識になり、今ではロックで「Em一発ね」なんていって中学生でもやるようになってきました。
さてここまでは、「新発見→後付け理論武装→常識化」という流れがはっきり見えているのですが、その後、90年代後半に入り、またまた同じことが起こったようです。
マイルスのTUTUを聴くと、(いやソロ譜を見ると)マイナーセブンスコードに対して、現代の理論では禁じ手のb9th、#11th、b13thのような過激な音のオンパレード。
現代理論では完全に外れていますし、聴いた感じもミストーンのようです。
評論家たちは、
「ミストーン連発で、マイルスも年老いて頭おかしくなった」
なんて言っていますが、
しか〜し、それはまだ後付けの理論が追いついていない最先端の音と見るべきではないでしょうか。
しか〜し、それはまだ後付けの理論が追いついていない最先端の音と見るべきではないでしょうか。
あと30-40年ほど経つと、このなんともいえない外れた音が正当化され、中学生でも普通に使うようになるかもしれません。
ちゃんちゃん…