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音楽(エッセイ)

-1- マイルス    -2- ウタバン その1    -3- ウタバン その2    
-4- リズムのこと その1
  -5- リズムのこと その2    -6- リズムのこと その3

-1- マイルス

ジャズ史の中で一番重要な演奏家はマイルス。

何十年に渡ってその時代の音楽を激しく変え続けてきた人なので、「これを聴け」というのだけでも何十枚にもなって大変。

聴いてみると、同じ人とは思えないくらいの変わりようでびっくりします。

50年代、60年代、70年代、80年代、90年代それぞれ全然別なマイルススタイルで演奏していて、各年代で何枚も重要アルバムがあるみたいですね。

ところでぼくの中での一番の変化は50-60年代のマイルス。
それ以前はスインジャズで、ソロもルートに対して3度、5度、7度、9度くらいしか使っていなかったのに、BeBupが始まると、b9、#9、11やb13がてんこ盛りに出てきて、アドリブが急に難しくなるのです。

スイングジャズとモダンジャズ。
同じジャズと名がついているのに、なぜこれほど違うのか。
ものすごく不思議でした。

映画バードの中でチャーリーパーカーが、

「あの頃は歌の伴奏で毎晩毎晩同じ曲ばっかりやっていた。
ある日、G7のところでDb7をやってみたら、それが合うんだ。
何故か判らないけど。そのときに、コードを変える方法を発見したんだ。」

と言っています。

それが発展して、現在では裏コードやオルタード、ハーモニックマイナーパーフェクトフィフスビロウなんかは理論付けされて正当化されるに至っています。
今じゃ中学生でもオルタード使ったりしてますね。

先人が感覚で編み出したもの(超非常識)が後付けの理論で正当化され、次第に常識になっていく…

次の大きなうねりはモードジャズへの変化。

それまではコード進行こそがジャズで、コードに沿ったソロを弾くことがイコールジャズと言ってもいいくらいだったのです。

そのために、複雑な(かっこいい)ソロを弾くためにはどんどんコードを複雑に変換していかなければならず、1拍に1コードみたいな状況になって、かえってソロがやりずらくなってきたわけです。

そこで出たのがモード。

この当時、日本のジャズマンたちは何が起こっているか判らず、
「ピアノの白鍵だけ弾けばソーホアットのソロになるよ」
なんて言っていたらしい。

モードもその後常識になり、今ではロックで「Em一発ね」なんていって中学生でもやるようになってきました。

さてここまでは、「新発見→後付け理論武装→常識化」という流れがはっきり見えているのですが、その後、90年代後半に入り、またまた同じことが起こったようです。

マイルスのTUTUを聴くと、(いやソロ譜を見ると)マイナーセブンスコードに対して、現代の理論では禁じ手のb9th、#11th、b13thのような過激な音のオンパレード。

現代理論では完全に外れていますし、聴いた感じもミストーンのようです。

評論家たちは、
「ミストーン連発で、マイルスも年老いて頭おかしくなった」
なんて言っていますが、

しか〜し、それはまだ後付けの理論が追いついていない最先端の音と見るべきではないでしょうか。

あと30-40年ほど経つと、このなんともいえない外れた音が正当化され、中学生でも普通に使うようになるかもしれません。

ちゃんちゃん…

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-2-


-2- ウタバン1 ボサノバ

いつまでも居座っていたような冬がようやく終わり、唐突に半そでの季節に突入。

そんなときはボサノバがいい感じですね。

暑くなるといっても、ほんとの真夏の太陽の下ではチューブとかベンチャーズ

(古いな〜)ですが、

ボサノバは、陽射しも傾いて少し涼しげな風が出てきたかな。「今日も暑かったな〜」
なんて思いながら氷を浮かべたジントニック
(‥がなかったので冷蔵庫のカンチューハイ)かなんか飲んでるときに似合う。

昼の暑さが通り過ぎて、夕焼けを見ながらちょっと一息するときに、声を張り上げない空気交じりの歌声が心地よいわけです。

「頑張る。」とか「きばる」

そういう言葉と最も遠いところにある音楽「ボサノバ」

身近に尺八のすごい先生がいると判って思わず弟子入りしたときに、
「歌の伴奏するなら、その歌を歌えなくちゃお話にならん」

と言われ、民謡の歌をすこし稽古させられたことがあります。

バンドでたまにボーカルも取るくせに、歌い方を人に教わったのはそれきりでしたが、最近クラッシックの声楽の専門家と知り合いになり、3回くらいですがレッスンしてもらいました。

日本の民謡と西洋のクラッシック。

似ているところを見つけるのさえ大変そうな2つの音楽ですが、発声方法に共通点が多いのにびっくり。

横隔膜を下げて。
とか、下腹を張って最後までへこますな。

とか‥

細かい指示がいちいち共通。

声楽の専門家の人は体の筋肉を一つ一つ名指しして、今○○という筋肉を使っている。そこに意識を集中して。
なんていうので判りやすい。

どちらにも共通しているのは、体を響かせてよく通る声を出しなさい。
ということなんでしょうかね。

マイクの無い時代(つい最近です)には生声で演奏するしかないわけで、プロのボーカルは、自分の声の届く範囲が、つまりお金をもらえる範囲。

なるべく大きな音、よく響く音を遠くまで飛ばすのが、自分の生活がかかった目標だったのですね。

歌手もきばらないと生きていけない時代だったわけです。

長らくそういうクラシカルな発声方法が唯一絶対正しいと思われる時代が続いていましたが、PA装置の発明により、ぼそぼそと小さな声で歌っても遠くまで届くようになった。

伝統的な歌唱法から見ると全くお話にならない歌い方。
(‥なんでしょうね。 歌い手から半径2メートル以内にしか聴こえないもんね)
ですが、

ゆるーい感情を表現するときにはそんな歌い方がぴったり。

伴奏も、ガットギターとベース、南米のパーカッションたちがほんとうによく合います。

べつにボサノバなら絶対ガットギター。
という決まりがあるわけじゃないですけどね。

日本酒には近海の魚。とか
焼肉には眞露。とか。
うどんには七味。ラーメンにはコショウ。

とかね。

原産地が同じものどうしの組み合わせがやっぱ一番合う。

音楽にも、その音楽が生まれた地域の背景や文化があるわけで、原産地の組み合わせがいちばん合いますね。

ボサノバの伴奏に、ディストーションの効いたロックギター
とか、
怒涛のドラム

は似合わないx_x

どこでなにをやってもいいじゃないか。表現は演奏者の自由じゃないか。

という意見も当然あっていいですが、たとえばレストランで「チキンカレーください。」と注文したのに、何か知らないけど白くてすっぱいどろどろの創作料理が出てきた。という状況を想像してみて下さい。

期待を裏切られ、しかもまずい(慣れてない)。
「そんなことうちで一人でやってよ。」
と言いたくなるでしょう。

人間には、物の名前に対してある期待感というか定型があって、それから激しく外れるようなものを受け入れることが出来ないのだと思います。

激しく外れるものをやりたければ、「チキンカレー」という言葉(名前)から離れて別の名前を付け、みんながそれに慣れるまでひたすらやり続けなければいけません。

でも、雰囲気を大幅に乱さない程度にならちょっと毛色の変わったことしてもバチは当たらないんじゃないか。

実は尺八とガットギターでボサノバをやりたいのです。

(この場合は尺八が入ったので、ギターは絶対ガットギター。そじゃないと全然違う音楽になっちゃいますからね)

ボサノバの空気交じりのボーカルと、尺八の空気交じりの音は合うと思うよ。

だれか僕のためにガットギター弾いてくれる人いませんかね〜



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-3-

-3- ウタバン2 自分の居場所

自分の居場所

「自分の居場所」って、なんだか日曜日に朝からごろごろして、

「もう。掃除の邪魔なんだから」

なんて追い立てられてうろうろしているお父さんみたいですが、バンドの中の自分の居場所も自分で作らなければいけないのでした。

バンドで演奏するときに、
「ベースはこういうふうに弾いて」
とか
「サイドギターはこんなアルペジオで。リードギターはこういうオブリガードで」

なんて、いちいち親切に指示してくれる人はいないわけです。

完コピバンドならやることがはっきりしていて判り易いですけどね。

大概の場合は、自分がどこで何をやるか、その時々に自分で考えるしかないわけです。

「なあマイルス。俺このバンドでどういうふうにやればいい?
おまえがこうやれって言えばその通りにするからさ。」

と相談した若い頃のデューク・ジョーダン。

マイルス・デイビスは、
「どうやればいいかだって?
くそったれ。俺はお前の振付師じゃないぜ。」

‥だって。

バンドの音を聴きながら、最高のサウンドが出るように自分で工夫しろ。

ってことなんでしょうね。

ギターが1人なら1人なりの。
3人なら3人。
10人なら10台のギターを最大限活かすようなサウンドを、それぞれ考えて演奏するっちゅうことです。

でもギター10人もいたら、

「‥じゃ俺なにやれば‥???」

と思う気持ちも判りますが、ギター10台で出すサウンドなんて、そこらへんにないですよ。

その状況を楽しんで、しかも最大の効果が出るように自分から工夫する人が、バンドの中の自分の居場所を確保できるわけです。

どこかのバンドにゲストで参加したりするときが一番興奮します。

そのバンドは、当然ながら普段は自分抜きでサウンドが固まっているわけで、例えば自分は一切演奏しなくても、誰も痛くも痒くもない。

遠慮してもじもじしていると、本当に一切出番がないままに終わっちゃいますよ。

そこで、演奏が始まったら、バンドの出音に全神経を集中させ、この場面でこういう音が加われば超かっこいいかも。

とか、

音の空白スポットや穴場を見つけたら、すかさずかっこよく入っていくわけです。

うまくいけば大賞賛の眼差しが‥

しかーし。 そこでこけたら全員に白い目で見られるのは必至。

この緊張感がたまんない!

ハイリスクハイリターンな男の世界だぜx_x

日常生活でもそうですが、

「積極的」と「でしゃばり」は紙一重。

時間と共に高速で流れていく音列を感じながら、絶妙なバランス感覚で音を出すわけですよ。

音を出さないことが最高の効果をあげることも沢山あって、ちょっと静かにしていて、ここぞというときに最高の効果的な音を出す。

これもかっこいい。

ブルースとかジャズとかロックはそのへんが楽しいですね。

こけたときには
「こいつドヘタ」と思われて
もう二度と立ち上がれないほどのダメージに‥

これも若き日のマイルスにチャーリーパーカーが、

「おいマイルス。
今日のステージでCocoのソロ取れよ。」

としつこく言ったそうですが、

マイルスはCocoのコード進行をいまいち把握していなかったのでかたくなに断ったそうです。

「客の前でうろ覚えの曲やるほど勇気無いぜベイビー。
一度(こいつはへたくそ)だって思われたら取り返しがつかないぜ。
ばかやろー」

(なぜかマイルスの話し言葉がアントニオ猪木に‥)

日曜日のお父さんじゃないけど、

自分の居場所つくるのってけっこう大変x_x



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-4-

-4- リズムのこと その1


いまさら言うまでもないですが、音楽は「メロディー」と「和音」と「リズム」の3つから出来上がっているわけです。

そのうち、現代のポップな音楽(前衛クラッシックとか実験音楽を除いた一般大衆音楽ですね)では、圧倒的に「リズム」の重要度が高いです。

大衆音楽って、ちなみにWikipediaで検索してみると、「あ」行のR&B、アイドルロック、アシッドジャズ、アフロビートから始まって「わ」行のワールドミュージックまで、なんと180ジャンル以上ありますよ。

初めて聞くやつも。

「ナイヤビンギ」なんてジャンル聞いたことない。これ何語だろう?

メロディや和音の仕組みは、18世紀あたりの古典派クラッシック音楽のときに出来上がったものが現代も使われているらしいですね。
つまり全世界の大衆音楽は、全部古典派クラッシック音楽と同じ仕組みで出来ているっというわけ。

ところがリズムパターンが違うので、それぞれ別のジャンルの曲に聴こえているわけですね。

この曲ボサノバだね。とか、これグラムロック。とか言うときには、その音楽のリズムパターンを感じて区別しているわけです。

セッションで初顔合わせのミュージシャンが演奏するとき、「枯葉を4ビートで」みたいにリズム指定します。

4ビートのジャズ、8ビートのロック、シャッフルでブルース。

ボサノバ、16ビート、スイング、タンゴ、ワルツ‥

音楽の種類の数だけ(つまり180種以上の)リズムパターンがあるわけです。

そういうところなんか料理に似てますね。

同じ食材を使っても、味付けを変えると違う食べ物になるところが一緒。

ピーマンと豚肉をごま油と醤油で味付けすればチンジャオロースーになり、カレーペーストで味付けすれば豚肉のカレーに、塩コショウで炒めれば和食の肉野菜炒め。

同じ食材を使っていても、フレーバー(味付けです)の違いで別の食べ物になるわけです。

好きな味覚がそれぞれ育った環境で違うように、体に染み込んでいるリズムパターンも人それぞれ違うから合わせるの大変なんですよ。

雑煮は丸もちしか認めません。とか味噌汁は赤ミソで。とかね。

あとラーメンにねぎ入れないで。とか明太子は炙らないと食いませんとか‥

‥人それぞれ。

しかもやっかいなのは、みんな自分のリズムが絶対正しいと思っていることですね。
つまり相手が間違っていると思いやすいのです。

バンドを組むということは新婚夫婦の食卓みたい。

もともとは他人同士なわけで、生まれ育った環境も違うし、いろいろ驚かされますね。

料理をするときに、適当にいろんな調味料をぶち込んで、偶然ものすごく美味しい食べ物が出来るなんてことがありえないように、音楽でも、雑多なリズムパターンを適当に混ぜて演奏してたら偶然すごい曲が出来たなんてことないです。

相手のいうことをよく聴いて理解しようと勤めないとうまくいきませんx_x
バンドの練習は、曲を練習する場ではなくて、メンバーのリズムを同化する場だったんですね〜。

今日のひとこと。「リズムはお互い様。」



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-5-

-5- リズムのこと その2


バンドで「リズムを合わせよう。」っと言ったときには、「リズムパターンを合わせよう。」ということと、「タイミングを合わせよう。」という二つのことを言っているわけです。

タイミングが合わないというのは、メンバーそれぞれが体の中で刻んでいるビートが微妙に違うからで、それは生物であれば自然なこと。そもそも初対面でぴったり合うはずないのです。

そのときによくある勘違いで、メトロノームかなんかを持ち出し、「みんなこれに合わせよう」というのがありますね。

相手は機械だから絶対正確。

正確なビートに合わせたら素敵な音楽になるはず。

でもね。正確なビートなら素敵なグルーブがでるのか?

ほんとうにそうか?

コンピュータミュージック(YMOのことじゃないよ。ほんとにコンピュータが出していたビート)に何がしか違和感を感じていた自分を思い出して、ひとまず疑ってみなければいけません。

リズムは人間が生み出したものであるからには、機械にはない生物的な要素が入っているはずですよ。

よく言う1/f揺らぎ。

(これは後で触れますね)

そもそもメトロノームのような機械に合わせて演奏しようとした瞬間に、音楽の中に本来あるはずだったノリやグルーブ感が失われるのです。リズムは本来、生物が自発的に出すものなのに、感情のない機械に無理やり合わせようとするから当然です。

人間自発的ほど素敵なことはありません。

「さて掃除でもしようかな」と思っていたのに、

「すぐ掃除しなさい。」なんて命令されたら、とたんにやる気も楽しさも吹っ飛んでしまい、

‥いまやろうと思ってたのに。

とぶつぶつ。

メトロノームに合わせて演奏することになにか意味があるとすれば、それはその演奏者が、機械に合わせてリズムを刻むことも出来る(そのくらいの技量は持っている)。というテスト以上になんの意味もないですね。

まあ。でもそれはそれで大切なこと。

もしメトロノームでクリックを出して、それにすら合わせられないのであれば、その人はバンドの練習すぐやめて自宅に帰って個人練習したほうがいいです。

機械に合わせられない人は、他人にも合わせられないからです。

さてさて、人間が出すリズムはそもそも不正確。

そしてリズムは人間の感情を表すバロメータ。

けだるいハチロクのブルースの時には若干後ろにずれ気味に。

ノリのいいシャッフルの時には気持ち前のめりに。

難しいことを言っているようですが、そんなことないです。実際に演奏してみればすぐにわかります。

民謡を聴いていたじいさん(楽器経験なし。79歳。)が、手拍子をするときに両手を刷り合わせて独特な粘り気のあるリズムを出していたりなんかして、

そんなことみんな無意識にやってるでしょ。

大事なのは頭で考えないで、体で楽しむことだと思うのです。

さてここで1/f揺らぎ(エフブンノイチゆらぎ)が登場。

Wikipediaでは、
規則正しい現象と全く不規則な現象の中間の揺らぎで、人間がその揺らぎに出会うと何故か気持ちよくなる。

あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる万物普遍の法則であるとされ、人の心拍の間隔や、ろうそく の炎の揺れ方、電車 の揺れ、小川のせせらぐ音、アルファ波 などが知られている。

‥‥だって。

試しに、等間隔に並んだ直線を見てみると、なんか鉄格子みたいな圧迫感がありますが、それに1/f揺らぎを与えるとあら不思議。

線の間隔が不規則に伸び縮みして、まるで木目調ですよ。

なんかあったかいね^^

このことからも、機械が出すビートが気持ちいいはずがなかろう‥

と気がつきますね。


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-6-

-6- リズムのこと その3


バンドの演奏を聴いていて、「うわ〜リズムがばらっばらで合ってないな」と思うことがありますね。

さっきも書いたけど、リズムが良い悪いの境界線は、演奏が上手い下手の境界線と同じ。

(と僕は思う)

そういうのはどうすればよくなるのか???

バンドをやっていると、ドラムとベースは仲悪いです。

仲良くすればいいのに、何故仲悪いのか???

どうすれば仲良くなれるのか。

‥‥それは、お互いに判り合う努力が足りないからでございます^^

自分が絶対正しいと思い込んで相手を攻撃するので、しまいにゃ戦争になっちゃうわけです。

自分のリズムは絶対正しいと思えば、違うリズムが許せない。

まじめにやっている人ほどそうですね。

相手もおんなじことを思っているから、いつまでも会話は平行線。

2人で会話していて、こっちの話全然聞かないで自分のことだけしゃべる人。

とか、

こちらが話しているのに上からかぶさってきて全然違うこと言い出す人。

とか、

会話のキャッチボールでゆるくバレーボールを投げてみたら、野球のボールが剛速球で返ってきたx_x

とか、

日常生活でも疲れる人多いですが、相手と判り合おうという意識がそもそも無いから会話も成り立たないのですね。

そこで1歩引いて、「少し歩みよってみよっかな」という気持ちが芽生えれば、バンドの音がもっとよくなりますよ。

アースウインド&ファイヤーのセプテンバー(しかもライブ版)

ものっすごいリズムのグルーブ感!

こんなに気持ちいいんだから、きっとあの曲も1/f揺らぎで揺らいでいるはずです。

バンドの出音が1/fで揺らぐということは、メンバー1人1人のリズムの揺らぎが同期しているということですよ。

さらっと書いたけどすごいことです。

何故といって、1/f揺らぎはろうそくの炎のようなランダムな揺らぎ。

それに同期するっていったい‥

恋人にメール書いていたら、偶然相手も同じ時間にメール書いていて、ほとんど同時に(5秒以内くらいの間に)送信してたとか、会話が止まってしばらく沈黙してから、「昨日ね‥」と二人同時に言い出すとか‥

よくあるのですよ。

判り合おうという気持ちさえあれば、人間そのくらいの偶然は簡単に引き起します。

ドラムとベースなんか、「リズム一筋」で生きてきた人たちなので、自分と違うリズムの揺らぎかたが許せない。

曲に入るタイミングが許せない。

しまいにゃそいつの髪型も服装のセンスもしゃべり方も何もかも許せない〜〜

‥となるわけです。

そこで判り合う気持ち登場。

相手の音をよーく聴いていれば、なにをしたいのかだんだん判ってきますよ。

そして自分も少しだけ歩み寄ってあげる。

世の中自分の思い通りにばっかりはいかないんだな‥

っと、大人の世界をほろ苦く垣間見たりしているうちに相手と同化してくるわけです。

バンドの練習は曲を練習する場ではなくて、お互いの音を聴いて、お互いに歩み寄る場だったんですね。

1/f揺らぎが最も多く見られるジャンルはクラッシックの曲(モーツアルト)らしいですが、クラッシックでは指揮者という生物的リズムマシンが音楽を作り出しているわけです。

優秀な指揮者であれば、1/f揺らぎのリズムを創り出していることはいうまでもありません。

さらに、優秀な演奏家は指揮者が出すリズムをひとまず自分の体に入れて同化する。

一旦そいつと同化してしまえばもうこっちのもんですよ。

なんせリズム的に同一化しているわけですから、ランダムな揺らぎにもへーきでシンクロしてしまうわけです。

‥って、究極まで突き詰めた人間のやることってすごいね!

僕みたいなふつうの人は、せめて相手を判ろうとする気持ちだけでも保っていこうかな‥っと。

ドラムとベースも、お互いに相手を理解する努力を続けて、しまいにはリズム的に同化してしまい、ジャストなタイミングで揺らぎが出せるようになったら、それはそれは気持ちいいことでしょう。

こんなパートナーもう一生見つからない。

とまで思うかもね。

その結果同性愛関係になってしまったら‥


‥気持ち悪いからバンド解散だ〜x_x


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