小さな胃ガンを切るために入院してから、もう二年ほど病院から出られないでいる。
80に近い年齢ということもあって、ひとたびベッドに馴染んでしまうと、拭っても拭っても、体のあちらこちらにカビが生えるように次々に病根が吹き出てきて、ひたすら弱ってゆくだけだ。
一度目の手術が終わったばかりの頃は、点滴の柱につかまってそこいら辺をふらふら歩き回ったものだが、今ではそれももうずいぶん昔のことのように思う。足がすっかり弱ってしまい、いつの頃からか、自分でトイレに行くことも出来なくなった。ああ俺はもうこのまま死んでしまうのかなとつい弱気にもなろうというものだ。
若い頃だったなら、こっそりワンカップかなんかを買い込んで、カーテンを閉じたベッドに腰掛けて寝酒でもしていたのだろうが、今は第一腹が減らない。腹が減らないから酒なんか欲しくもない。女がいても面倒くさい。
今まで、ただそれだけを生き甲斐のように楽しみにしていた事柄が、もうすべて億劫になり、枯れ果てた体で薄く呼吸をしながら、じっと寝ころがっているだけなのである。
こんな有様なので、つい最近まで死ぬのがとても恐ろしかったのを不思議な気持ちで思い返している。これほどに体が弱ってくると、不思議と死ぬことが怖くなくなってきた。
死ぬのが怖いという想いは実は私ではなく、私を形作っているこの肉体が言っていたのだなと思うのである。
眠るとすぐに夢を見る。夢の中の私はまだ歩くことが出来て、病室を抜け出して二階の売店のあたりまで散歩してみたりする。さすがに病院だけあって、夢の中でも大勢の人がひしめいている。現実の病院より数倍多いくらいだ。
これだけ人がいればこの病院も繁盛していいのになと思いながら売店前を通り過ぎると、待合室のソファーに腰掛けているのは、顔見知りのTさんだ。私も歩けた頃にはよくここに来て、タバコを吸いながら世間話に加わったものだ。
Tさんはからりと威勢のいい男で、皆から棟梁と呼ばれていた人だ。現役時代は本当に大工だったらしい。いつも豪快に笑う人だが、今日のTさんは表情の無い目でじっと空中を見つめていた。
ソファーはびっしりと人で埋まっていたので、私はやや離れたところから声を掛けてみた。
「や。久しぶり」
私が声を掛けると、Tさんは驚いたようにこちらを見た。
「あれ、ほんとだね」と、すぐに人懐こいTさんの目になった。
「もういいのかい?」と私が言うと、Tさんはちょっと困ったように顔を伏せた。
「もうこんな有様になっちまったよ」
「なんだいこんな有様って。元気そうじゃないか」
Tさんはちょっと黙ってから、「そうか」と言うと、ちょっと歩くか。と思いのほか身軽に立ち上がり、私の横に来て、「こっち来てみて」と、先に立って歩き出した。
すいすいと人ごみをかき分けながらホールを横切り、売店の前も通り過ぎて、エレベータ横の階段を降りはじめる。
階段を降り始めると驚いたことに、そちらこちらに人が佇んでいる。昇るわけでも降りるわけでもなく、ちょっと道端に立ち止まって考え事をしている、という風情である。中には階段に腰を下ろしている人もいて、通行人には邪魔でしようがない。
Tさんは慣れた様子で、佇んでいる人たちには目もくれず、ずんずん降りて行くのである。1階も通り過ぎて地階に通ずる踊り場を曲がると、そこから先は急に照明が暗くなるのだった。
私もよく知っている場所だ。地下一階は霊安室なのである。
私は何だか気持ちが悪くなってきたので、「なんだい、こんなとこに降りてきて。気味が悪いじゃないか」と努めて明るくTさんに声を掛けると、Tさんは立ち止まり、先程とはうって変わって表情の無い顔で私を振り返ると、「もうすぐだから」と言った。
前に、階段を降りきったあたりまでは来たことがあったが、そこから先は初めてだ。
階段を降りきって右に曲がると、長い廊下の突き当たりに霊安室と書いた看板がひっそりと見える。そして、そこに続く薄暗い廊下の両側には倉庫のような殺風景な部屋が並んでいるのだった。
この階だけ照明がとても暗く、ひんやりして、空気がひときわ濃いように感じられる。
前見たときには閉じていた金属製の大きな扉は、今日は半分ほど開いている。
時々看護婦が出たり入ったりしていた。
Tさんは歩きながら、「俺もこの病院、3年いたよ。長かったな」なんてつぶやいている。私はすぐ左横を歩きながら、「俺ももう2年だな」と返事をするでもなくつぶやいて、冗談のつもりの、生きて出られるかな。という言葉を飲み込んで黙った。
よく考えると、今年のカレンダーのどこかに、ボールペンかなんかで私の死亡日が書いてあってもおかしくはないのだった。しかし、ただ惰性で生きているような現在の私には、もうすぐ確実にそうなることに対しての格別な気構えも、恐ろしさも無いのだ。
例えて言えば、もうすぐ夏休みが終わってしまう、というような重苦しさであろうか。宿題もたっぷり残っているし、やり残したことだらけだけれども、今更どうしようもないのである。
Tさんに続いて霊安室の扉をくぐると、その中はさらにいくつかの小部屋に分かれていて、それぞれの部屋に、ベッドと簡単な祭壇のようなしつらえがあるのだった。つい最近亡くなった人なのか、病室のベッドのまま運び込まれている人がいる。親族のような人たちがその周りを取り囲んでいる。
Tさんはためらいも無く中に入ると、顔に白い布がかぶせられている人の枕元に歩いて行き、黙って患者の名札を指差した。
そこにはTさんの名前が書いてあった。
毎日ベッドに張り付いて暮らしていると、夢の世界と現実世界を常に障壁無く往復しているようなもので、しかもその夢があまりにもリアルなので、目が覚めてもどこまでが夢だったのか判然としない。ニョウボに、昨日友人にお金を貸した、なんてことを確信を持って言ったりするので、「このじじい、とうとうぼけやがったか」などという目で見られるのである。よく考えると、その友人もとうの昔に鬼籍に入っていたりする。
逆に夢の中にいて、ああ。今見ているこれは夢に違いない、と気が付く瞬間も多々あって、そんなときには「ちょっと空でも飛んでみるか」というような遊びごころを実現することが出来、それなりに楽しめるのである。が、たいていはあっという間にまた無意識の世界に引き戻されてしまい、幻想世界に遊び戯れる、という風流なことにはなかなかならない。むしろ怖い思いをして、「夢なんだから早く覚めてくれ」と祈るようなことばかりである。
聞くと精神異常者という人達もまた、日常休み無く狂っているのではなく、あるときふと正気に戻り、そうしてまたそれぞれの空想世界に沈み込むということを繰り返しているらしいので、このような夢の世界は、前もって狂った私を体験させてくれているようにも思える。
記憶こそが私自信であり、たとえ誰が知らなくとも、私のような者がこの世界にいたというたった一つの証拠だったはずなのに、その記憶がこのようにあいまいになってくると、私の存在そのものがじんわりと溶け崩れていくようである。
そのときの私は、かなりの確信を持って「ああ。これは夢なのに違いない」と思っていた。
目の前にTさんの死体とTさんがいる。
そもそも幽霊というものは存在するのか?存在するとすれば死者数に対する目撃情報が少なすぎるのではないか?人間が死んで幽霊になるとするならば、ほかの動物はどうなのか?サル、犬、猫、鳥、爬虫類、植物、菌類やバクテリアにも死後の世界があるのか?SARSに感染して亡くなった人は死後、一緒に火葬されたコロナ菌の幽霊にもう一度感染するのではないか?などと謎は尽きない。
Tさんはそんな私をじっと見ていた(様な気がした)。そうして、「俺を見てみろ。死後の世界はあるんだよ」というようなことを言った。
「死んでやっと、今までの全ての出来事を思い出したのさ。この間死んだ時も、その前の時も、そのもう一つ前も覚えている。」
「そんなばかな」死んだ人間に記憶なんかがあるものか。と私が言うと、
「あんた、俺を見ているのにまだそんなこと言うのか」と、恐ろしげな顔で私を睨めつけるのである。
その時、もう一つのベッドががらがらと音を立てて入って来るのが見えた。
そのベッドには見覚えがある。何故と言って、私が毎日寝ているベッドだったのである。
私は、早く目覚めてくれ。と、そればかりを心に念じていた。
私は死んだ。
死んだら、たましいが肉体から抜け出し、自分の死体を上から眺めて呆然とする。
そのようなことを漠然と想像していたのだが、どうもそうではなさそうだ。
医師が私の瞳孔や脈拍を診て死亡宣告をしたあとも、私の体の部分部分は当然生きているのである。
筋肉は、例えばどこからか電気を流せば立派に伸び縮みするだろうし、皮膚も生きているときのように新陳代謝を行い、ひげも伸び続けていた。
脳は、もはや肉体を動かすような強い信号を発信することはできなくなっていた。
しかしその内部では、日が沈んだあとの残照のように、または一滴の水滴が落としたさざなみが弱く同心円状に広がって反射を繰り返し、静かに減衰していくように、脳内を弱い信号がほのかに光って伝播しては消えていた。
そのせいで私は夢見るように過去の光景を眺めていた。
幼稚園の頃、父親に連れて行ってもらった遊園地の白いすべり台。
転校初日の小学校の昼休み、一人で眺めていた校庭の景色。
私だけが知る私の70数年間の出来事が脈絡なく出現しては入れ替わり、私は涼やかな気持ちで映像の中に身を置いていた。
死の間際に一生を見るというのは本当なんだな。
ああ。こんな私をみんなは死人として扱っている。
体は動かないけれども、うっすらと音が聞こえるのである。
いったいどの時点からが死人なのか自分でも判然としない。
そのような状態が何時間か、けっこう長く続いていたような気がする。
そのうちに、私の肉体の中で完全に機能を停止した部分が少しずつ私から剥がれ落ちていくのだった。
人型の鋳型に金属を流し込んでおいたものが、年月と共に少しずつ腐食してぽろぽろと剥がれ落ちるようである。
霊魂が肉体から離脱するのではなく、朽ちた肉体が少しずつ私から剥がれ落ちていくのである。
とうとう最後には、私から全ての肉体が剥がれ落ち、空間の中に私の型だけが空虚に残っていた。
それは比喩でいうところの「鋳型」ではない。
生きている生命よりももっと複雑な、「空間の歪み」とでもいうのだろうか。
こうなってみると、本来の私はこの空間の歪みであり、肉体はこの歪みに集まった塵だったような気すらしてきた。
水の流れの中に渦があり、その渦の中に塵や落ち葉や枯れ木が集まって何かしら形を成している。
やがて落ち葉が朽ちて水中に沈んでも、渦は残り、新たに落ち葉を収集して異なる形を形成する。
私が私だと信じていたものは、その時代時代に渦の中に集まっていた塵や落ち葉の形であり、色であったのだ。
やがて落ち葉がなくなり、清々とした渦だけが残るが、
時を経ればやがてまたそこに新たに塵が集まって別の人格をなしてゆく。
‥‥そのような感覚。
気が付くと隣にTさんがいた。
よく見ると、Tさんの体も空間の中の空虚な鋳型なのだった。
「どうだい。前に死んだときのことを思い出しただろ。」
そういえばそうだ。
前の人生、そのもう一つ前の人生。
私はこのようにして輪廻転生していたのだ。
しかしおかしいじゃないか。
肉体を失った今、このようにものを考える実体はいったい何なのだろうか。
思考というものは、ただ脳内を流れる電気信号だったはずだ。
その脳を失ってなお、このようにものを考えたり記憶が残っているのは何故だろう。
Tさんは、
「ちょっと外に出てみるか。」
と言って、私を部屋の外に連れ出した。