金縛り日記
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小学生の高学年あたりから金縛りにかかるようになり、沢山の不思議な体験をしました。
金縛りの最中には体外離脱がおこってそこらを歩き回るように感じたり、どこからか知らない人が来ておなかをおもいきり蹴飛ばされたりするので、もしかして頭が狂ったのではないかとも思いました。
その後、自分が本当に体を抜け出しているのか、自分の知らない誰かが本当にそばに来ているのかを確かめてみたくなり、いろいろな実験を行いました。
その体験を、できるだけありのままに記録してみようと思ったがこの日記です。
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中学2年の秋ごろ、定期テストの一夜漬けの最中だったか、眠くてどうしようもなくなり、服を着たままベッドに寝転がった。 2時か3時ごろだったと思う。
横になって少ししたら、突然全身が動かなくなった。
意識ははっきりしているのに、手も足も痺れたようにもどかしくなり、周りを見ようと少しだけ首を動かすのにすら、渾身の力を込めないといけない。
体の痺れ方は、長い間正座した後で動かなくなった両足のようでもあるし、寒さに凍えた指先でボタンを外そうとするもどかしさのようでもある。
それが全身に起っていた。
なんとか立ち上がろうとしたら前のめりに倒れ、ベッドの上から畳に落下し頭を打ち付けて横向きになった。 右手を突っ張って起き上がろうとすると、それも崩れて横倒しになり、その後はごろごろと右へ左へと転がった。
そういうふうにもがきながら部屋の中を転げ回るうちに、やがて右足の親指辺りから少しずつ動くようになり、両足が動き出すと、やがて全身の硬直が解けて体が動くようになった。
目が覚めてみると、ベッドの上はさっき寝たときそのままに、暴れた気配も転げまわった気配もないのだった。
これが初めての金縛りだったと思う。
そんなことが一月に一回くらい起るようになった。
高校生の頃、きちんと首まで布団をかけて寝ているときに突然体が動かなくなり、布団を跳ね飛ばしてごろごろ転がり、ベッドから落ちて床の上をさらに転がる。 机にしがみついて立ち上がり、足がもつれて倒れる。 というようなことが起る。
泥酔したような大暴れなのだが、目が覚めて体が動くようになると、何事もなかったように元通り静かに布団に寝ている自分がいる。
布団はきちんと首まで掛かっていて、もがいた気配も跳ね飛ばしてもいない。
しかし、苦しんで暴れているときの体の感触が、夢を見ていたのだとは思えないほどリアルなので、いったい自分に何が起っているのかわからなかった。
そんなことが繰り返されて数年経つと、体が動かなくなっても暴れずにいようと思うようになった。
突然体が動かなくなったら、無理に動かそうとせず、逆に全身の力を抜くのである。
「金縛りにかかって動かない肉体」という硬直した容器の中で、想念の自分が柔らかくゆっくりと深呼吸して脱力している。 という感覚である。
現実の肉体は全く動かないので、
「今ここに誰か悪意のある者が来たら、絶対殺される!」
という恐怖感でいっぱいになるのだが、
さらに金縛りにかかったときにはいつも、何者かがそばにいるように感じるのだが、
それでも無理に心を落ち着けて何も考えないように脱力していく。
体の力がうまく抜けると、硬直した体という容器から離れて、想念の自分が肉体とは別に動けるということに気が付いた。
初めてそうしたときには、頭が下向きになり、机の脚元から上の引き出しのあたりを見ているのだった。
「反対になっている。」 と気が付き、脱力して真っ直ぐに立とうとすると、今度は畳と体が水平になった。
顔が天井を向いていて、電気の傘がすぐ目の前に見えた。
何度か体の向きを変えながら、なんとか体を直立させられるようになっていった。
体を直立して自由に歩き回れるようになるまでさらに数年が経過し、私は20歳くらいになっていた。
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真っ直ぐに立てるようになると、とりあえず部屋の中を探索してみた。
そういうときには、起きているときよりも視界が狭く、目のところだけ小さな穴を開けた眼鏡を掛けているような感覚のときや、眠くて目を見開いていられず、なんとか薄目を開けて見た景色のようだったりした。
電気を点けて寝た時には明るい室内が、消して寝たときには、窓から入る街灯の光に照らされた室内が見えた。
部屋の中を歩く目線は、現実の目線よりもいくらか高いことが多いので、足元が多少浮いているのではないかと思った。
まず机の上を眺めてみる。
先ほどまで使っていたノートや筆記用具がそのまま置かれている。
本棚も、別段変わったところもなく、いつも使っている通りの乱雑さだ。
次に天井の壁を間近に見てみる。 見ようと思うとすーーっと目線がそちらに近づくようで、体が浮いているという感じがした。
そこから視線を動かして電灯の傘を見てみる。 普段であれば台に乗らないと見えない角度から傘の裏側を見た。 体は天井に対して45度くらいに傾いているように感じた。
ところが、布団に寝ているはずの自分自身を見ようとすると、どうしても目線がそちらに向かず、見ることができない。
または、たとえ目線が向いても、室内が暗くて自分の姿が暗闇に隠れてはっきり見えないようなこともあった。
いまだに、布団に寝て金縛りになっているはずの自分自身を見たことは無い。
どうしても見られないのである。
窓が半分開いていたので、開けて外に出たらどうなるだろうと思ったが、外は光一つ無い真っ暗闇に見え、一度出たら二度と戻っては来られないような感じがして、そのときは出て行けなかった。
同じような理由で、部屋のドアを開けて外に出ることも出来なかった。
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何度か部屋の中を探索する経験をすると、それは体外離脱した私が本当に部屋の中をさまよっているのか、または単なるリアルな夢なのかを確かめたくなった。
まず、金縛りにかかって抜け出したとき、部屋の中で普段の自分は気が付かなかった何かの特徴を発見し、金縛りが解けてからそれが正しいかどうか確かめてみればいいと思った。
次の機会に金縛りになって抜け出したとき、まず電灯の傘の裏側のほこりの積もる様子を見てみた。
体外離脱状態で、ほこりが積もる様子や傘の裏側を見て特徴を覚え、金縛りが解けてからそれが実際の様子と合っているかを確認すればよいと思ったのである。
金縛りになって意識が外に出たとき、天井付近に浮いて電気の傘の裏側を見てみた。
天井から電気の傘に通ずるコードや接続部分、傘の裏側がはっきりと見えた。
いつもは下から眺めている電機の傘の模様が、裏側からは反転して見えたので少し感心した。
金縛りが解けてから椅子にのぼって実際の傘の裏側を確認してみると、その様子は金縛りのときに見たそのままだった。 しかしながら、決定的な証拠になる新しい特徴を発見することも出来ないのである。
そもそも、電気の傘のほこりの積もり方なんかには大した特徴がないのである。
何か特殊な落書きや普通は無いようなパターンが発見されれば確実なのだが、自分が想像した姿と現実に見た姿が大して変わらないため、体外離脱の証明にはならない。
同じように、普段は目が行かないつもりの天井の隅っこの様子や、部屋の角部分の壁紙のしみの様子、机の裏側など、金縛りのときに見た様子と実際の様子はよく合っているが、しかし新しい発見をすることはできず、なにか小さな特徴があっても、それは日常生活で無意識のうちに目にしていた特徴かも知れず、金縛り状態で本当に抜け出しているのかを確実に証明することは出来なかった。
たいして特徴のないもので確認しようとして失敗したので、もっと確実な方法を考えてみた。
本屋で、今まで読んだことのない本をてきとーに購入し、しかも適当なページを開いておいて、金縛りにかかって体から抜け出したときにその内容を読めるか。 というものである。
購入する本は、自分が今まで読んだことの無いものであればさらによい。
っと思って、文庫本のコーナーから背表紙を見ずに適当に一冊の本を手に取った。
それは、宮尾登美子の 「陽暉楼」 だった。
寝る前に本の適当なページを開いたままで机の上に置いておくのである。
金縛りの最中にその中身を読むことができれば、
しかも金縛りが解けて実際に読んでみて、内容が合致していれば、自分の何かが確かに体を抜け出しているという決定的な証拠になる。 のではないか。
それから数日後、金縛りになり、やがて自分の意識が体を抜け出した。
机の上のスタンドは点けたままで寝たので、本が置いてあるあたりがほんのり明るく照らされているのが見えた。
私はゆっくり机に向かって行き、椅子の後ろに立って机の表面を見下ろした。 本は寝る前に置いたときと同じ位置にあり、スタンドの蛍光灯で白く照らされていた。
寝る前に吸ったタバコの吸殻が灰皿に3本ほど転がっていた。
私は本の内容を読もうと身をかがめた。
しかし書かれている文字は、今まで見たことがないような複雑な文様に見え、読むことが出来なかったのである。
確かに何かが書かれているのだが、読むことが出来ない。
私は文字一つ一つを読み解こうと思い、一文字ずつ目を凝らして見たが、見ようとすればするほど映像の焦点が合わなくなり、最後にはページ全体がぼんやりした灰色になった。
そのようなことを2-3回繰り返したが、あるときは開いたページに何も書いていないように見え、またあるときには、何かは書いてあるがそれらは複雑な文様のように見え、内容を読むことが出来ない。
金縛りが解けてから、たった今見た複雑な文様を再現しようとしてみても、それも出来なかった。
しかし、机の上の雑多な文房具や部屋の中の様子など、文字情報を有しない風景ははっきりと見えて、そのときに見た光景は金縛りが解けてから見た光景と変わらないのである。
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そのとき私は、社宅の畳の上に布団をひいて、窓側に頭を向けて眠ろうとしていた。
そこは社宅の4階建て2LDKアパートの3階で、窓からは社宅の建物に囲まれた小さな公園が見えた。
僕の意識が眠りに入るか入らないかの境界線にきたとき、窓を激しく叩く土砂降りの雨の音が聞こえてきた。
もうろうとした意識で、「あれ。雨が降ってきた」
と思った。
しばらく土砂降りの雨音を聞いていたら、窓の外の公園のほうから、
甲高い声をあげながら走り回る子供の声が聞こえてきた。
3、4人で走り回っているような感じだ。
こんな夜中に (もう夜中の1時半か2時ごろだったと思う)
しかも嵐の中でどうしたんだろう。
と心配になり、ふと意識が戻って上目使いに窓を見上げると、
窓の外にはよく晴れた夜空と月が見えた。
あたりは静まり返っていて何の物音もしない。
変だなと思いつつ、また眠りに沈もうとすると、
窓を叩く土砂降りの雨音と、その中に時折聞こえてくる子供の声。
窓を叩く雨音に加えて、雨樋からベランダに流れて排水溝に落ちる水音や植え込みの木の葉を揺らす風の音もいっしょくたになり、全くの大嵐だった。
その中を走り回っているような子供達の声。
眠い意識を無理に呼び覚まして覚醒すると、あたりは何の物音もしない静寂。
窓の外には月。
そんなことを3、4回繰り返した。
怖くなってきたので、無理やり起き上がって冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に喉に流し込んだ。
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